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なんで胡椒の事業をしようと思ったのか

こんにちは。

”世界一美味しい胡椒”「おうさまペッパー」です。

おうさまペッパーをスタートしたのは、2022年になります。

まずはテスト販売からスタートして、2023年の3月よりネット販売をスタートしました。

そして、本格的にマルシェなどを出店し始めたのは2024年からになります。

おうさまペッパーの代表である僕自身は、WEB集客関連の会社「株式会社ハンドレッドエモーション」を運営しているのですが、WEB集客関係の仕事は2024年で、11年目となり、株式会社としては4期目となります。

WEB集客関係の会社をやっていて胡椒の事業を始めたのですから、お知り合いの方や、マルシェなどに来るお客様や、マルシェに参加しているお店の方にも、「なんで胡椒を売ろうと思ったの?」とよく聞かれます。

もっと古くからの知り合いからは、アパレル→買取→WEBコンサル、ライター→胡椒販売なので、こんなにガラッと仕事が変わる人は身近にいないと言われます(笑)

カンボジアの胡椒を売ろうと思ったきっかけは、以前に記事にしたのですが、詳しくはこちらをご覧ください。

しかし、僕が、胡椒を販売しようと思った理由は、僕の働く価値観や、ルーツに深く関わっています。

そんな僕の歴史という大層なものではないですが、自身のことを少しお伝えさせていただきたいと思います。

なぜ胡椒を始めたのか?

単純に胡椒が好きで、カンボジアの胡椒を知った時に衝撃を受け、これをもっと多くの人に知ってほしいと素直に思いました。

そして、カンボジアの歴史背景を詳しく知ったことからもっと多くの人にカンボジアのことを知ってほしいと思ったとよく言っているのですが、それは表面的な綺麗な理由です。

それも事実なのは変わりません。

ですが、僕も表面的にお伝えすることがある、カンボジアの国の人たちの雇用を!というのは、あくまで僕がこの事業で成功を積み重ねた結果でそうなるのであって、今すぐそうしたい!という大層な夢を語るともりも、偉そうなことは現段階では頭の隅にある願望でしかありません。

なぜなら、カンボジアの人たちは決して日本よりも下ではないからです。

ではなぜ、始めたかというと、僕の人生に起業というものが深く関わっているからです。

僕自身は3回起業しています。基本雇われることが向いてなく、45年生きてきて、社員として働いたのは数えても5年ほどです。

1回目は25歳の時。2年半ほど運営し大失敗しました。

当時は、ポケットに数百円しかないといった生活も経験し、家には借金取りが来て居留守を使って逃げると言うようなヘビーな体験を27歳くらいで経験しています(笑)

この時のお話は、noteに詳しく書いています。

画像は若かりし頃の僕です(笑)

こちらからその当時の失敗を赤裸々に書いています。

そこから2度目の起業。その時は生活するくらいはできましたが本当に好きなことではないと気づいてしまって辞めました。

その後、WEB系の仕事で3回目の独立。

WEB系の仕事は食うために始めました。この仕事はそれなりに上手くいって、一時は大きくバズったりしてSNSのシェアが7000とかあったりなど少し界隈では有名になりました。

それと同時に1万文字近い誹謗中傷をしてくる人や、何かと批判、人格否定する人なども増え、前に出ることはやめて完全裏方の仕事をするようになりました。

お客様は一部上場企業様や、何十万部の著者、文科省などの事業にも関わらせていただいたりしておかげさまで11年目です。

ですが、コロナの前くらいから本当に心からやりたい仕事ではないもどかしさをずっと感じてきました。

その時に出会ったのが胡椒です。

味と香りを感じた時に、これをもっと沢山の人に知ってほしい!と思いました。

カンボジアの胡椒に出会って、自分なりに調べて事業計画も練りましたが、いまいち漠然としていたので、僕のお師匠さんにご相談することにしました。

そのお師匠さんは、一部では有名なコンサルタントで、とても尊敬していてカンボジアにも学校を建てたり情勢にも詳しいので今なら高いコンサルフィーを払っても相談できるし、この事業こそお金を払って相談に値するものだと感じ、1時間10万円というコンサル料金に対して、本当に1時間で問題解決できるのか?と思いながらも支払って相談しました。

相談してすぐに癌で亡くなってしまったのですが、その時に言われた言葉が、「なんで胡椒なの?」「胡椒じゃないとダメなの?」「稼ぎたいと考えているのなら胡椒じゃなくてもいいのではないの?

そんな言葉を投げかけられた時に、僕はお師匠さんに回答することができませんでした。

「確かに胡椒じゃなくても良いなぁ」と本当に思ってしまいました。

「お前は、少し前のめりになっているんじゃないか?」「なぜそれをやりたいのかもう一度じっくり考えてみた方がいいよ」と優しく話してくれました。

その後、コロナが世界中で蔓延し、海外へ行けなくなってしまったので、お師匠さんの「なぜ胡椒なの?」という言葉をコロナが明ける2年間半ずっと考え続けていました。

しかし、それでも「やりたい!」という気持ちは強くあるのですが、「なぜ?」という答えがないまま2年半が過ぎてしまいました。

とにかくカンボジアへ行ってみて考えよう!

考えても、考えても答えが出てかないので、とにかく1回カンボジアへ直接行って、現地を実際に見て判断しようと思いました。

そして、すぐにカンボジアへ行く手配をし、初めてのカンボジアへ行きました。

僕が思っていた以上に活気があり、懐かしい昭和のエネルギッシュな日本を感じました。

そして、今でもとてもお世話になっている日本人の社長さんに出会い、同時に様々な人を紹介していただいたり、自分で知り合ったり人との触れ合いを通して、僕はやっぱり、人と触れ合っていく「商売」がしたいと思い出しました。

実際は、胡椒の感動を広めたい思い以上に、僕は僕が見つけてきたものや、ご紹介するものをお客様が喜んでいただける。

そして、喜んでお買い上げいただける商売そのそもが好きだったんだと気づきました。

10年以上食うためにライター業や虚業とも言えるコンサルタントなどをやってきました。

その10年間も、お客様には真剣に、自分の持てる全てを提供してきましたが、どこか本気になれないというか、能力のみで行っている感じがしていました。

心から震えて情熱を持ってできる仕事がしたい。

そんな欲求が僕にまだあることに気づいたカンボジアの旅でした。

4度目の挑戦

今はWEB系の仕事がメインになっていますが、胡椒の事業は僕にとっては4度目の挑戦になります。

今僕は45歳なのですが、45歳で4度目の起業をするようなものです。

なかなか4度も何かを立ち上げることってないと思います。

僕は4度目でようやく心からやりたいという仕事に出会いました。

他の人に比べたらとても遠回りだったかもしれませんし、大きな失敗も経験しているので、まだやるの?と思う人もいるかもしれません。

ですが、僕が45年生きてきてようやく本当にやりたいことを見つけることができました。

なので、今は大変なこともありますが本当に楽しみながらコツコツ前に進んでいる気がします。

思った以上にお金もかかるし、対面の仕事での感覚を掴んでいくには、まだまだ時間はかかりそうです。

もう少し効率良くできれば良いのですが、僕は不器用で、まだまだネット販売と、マルシェなどの出店での認知拡大の時期だと思っています。

その中でも、こうして、サイトのブログを書いたり、本業でのお客様へのコンサルやライティングの仕事なども手を抜かずに行っています。

今までよりもめちゃくちゃ忙しいのですが、寝食忘れてのめり込めるものにようやく出会った感覚で楽しみながら行っています。

背伸びしすぎ、ブレずに、着実に、そして楽しみながらやっていきたいと思っています。

もちろん、現在の本業である、コンサルやライターの仕事も、お客様の為に真剣に行っていきます。

公式ショッピングサイトは現在製作中です。

https://ohsamapepper.com/

こちらでも販売しています。

http://ohsamapepper.square.site

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    内田 広大

    株式会社ハンドレッドエモーション代表取締役社長 マーケティングコンサルタントや、WEB集客指導、様々な企業のライターなどをこなしながら、カンボジア産ブラックペッパーブランド「おうさまペッパー」をスタートし、自社ブランド胡椒煎餅やマヨネーズは全国の百貨店などにも置かれています。

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