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スパイス(胡椒)の歴史

こんにちは。

”世界一美味しい胡椒”をお届けるす【おうさまペッパー】です。

胡椒を中心としたスパイスは料理では味を引き立てる脇役であり、様々な料理に使われる調味料です。

そんな、胡椒やスパイスは、実はアジア圏では古代から香辛料貿易は盛んに行われていました。

人類と香辛料の結び付きは、いまからおよそ五万年も前の狩猟民族が、獲物の肉を香りの高い草の葉に包んだところ、よい匂いがつき、おいしく食べられることを知ったのが始まりと推定されています。

そこで、普段あまり耳にすることのない、スパイスの歴史をお伝えしていきたいと思います。

古代のスパイス事情

スパイスの歴史での記録で最も古いものは、エジプトでの記録です。

古代エジプトでは、儀式やミイラを作るときにスパイスを利用していたと言われています。

それは、なんと、紀元前4000年前に遡ります。

シナモンは世界最古のスパイスとされ、エジプトのミイラ作りのために防腐剤として使用されていた記録もあります。

参考:SB食品

また、古代エジプトでは、シナモンや胡椒が人気で、古代ローマでは特に人気が高く、当時のローマ料理に胡椒が使用されていた記録も残っています。

約1500年前 古代ローマ時代でも胡椒は、貴重な品目として高値で取引がなされ、その保有量が権力と財力の証とされていました。

特に、インドの胡椒などは、金や銀と等量で取引されるくらい高価なものとして扱われていました。

金と同じ価値があったなんて今では考えられませんよね。

そして、その高い価値から法廷通貨や有益賦課(年貢)としても通用していました。

ドイツでは、役人の給料を胡椒で払ったとされています。

また、罰金や税の代わりとしても扱われました。 

イギリスでは、地主たちが小作料を胡椒で支払うようにしたとされその名残りは今でも「名義だけの地代」をあらわす”ペッパーコーンレント(胡椒の実地代)”という言葉に残っているそうです。

このように古くは、胡椒やスパイスは高級品とされ、富の象徴としても大変貴重なものでした。

【胡椒小話】

西暦408年に起こったある事件。

ローマを包囲した西ゴート王アラリックが、ローマの町を解放するために要求した「身代金」のひとつが、なんと胡椒3,000kgであったという話が残されています。

大航海時代

冒険家、マルコ・ポーロで有名な大航海時代。

一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

実は、大航海時代が始まった要因の一つが 胡椒 などの 香辛料 です。ヨーロッパの食事は 肉食 がメインですが、当時は冷蔵庫など肉を保存する技術がありませんでした。

そこで、肉を保存したり味を変えることもできる香辛料が必要だったのですが、香辛料はヨーロッパの気候では育てることができず、アジアから輸入するしかありませんでした。

また、有名な東方見聞録によってヨーロッパの人々にスパイスの情報が広く伝達されていきました。

【胡椒小話】

ちなみに、胡椒は、8世紀に中国から日本に伝わったとされています。

正倉院御物のなかには、丁子、肉桂と並んで胡椒が収められている。「種々薬帳」に記されていることでもわかるように、これらの香辛料は当時、薬物として扱われていました。

スパイス戦争

スパイス戦争は、15世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパの強国たちが東方の貴重なスパイスを手に入れるために争った一連の経済的、軍事的競争を指します。

この時期、スパイスは食品の保存、味付け、薬として非常に高い価値を持っており、ヨーロッパではアジアからのスパイスを手に入れることが大きな経済的利益をもたらすと考えられていました。

スパイス戦争の背景には、ヨーロッパ諸国が新たな貿易路を求めて航海技術を発展させ、遠く離れた土地との交易を目指した探検時代があります。

ポルトガルとスペインが先導し、後にオランダ、イギリス、フランスなどがこれに続きました。

特に、ポルトガルはヴァスコ・ダ・ガマがインドへの海路を発見したことで、スパイス貿易で一時的に独占的な地位を確立しました。

しかし、その後、オランダやイギリスなど他の国々も強力な東インド会社を設立し、スパイス貿易に参入しました。

スパイス戦争は、単に貿易ルートの確保だけでなく、植民地の確立、海上での支配権争い、そして地域の王国や国々との同盟や戦争を含む複雑な歴史的な背景がありました。

この時代の競争は、世界史における植民地主義と帝国主義の展開に重要な役割を果たし、ヨーロッパの国々が世界の他の地域に与えた影響の大きさを物語っています。

参考:スパイス戦争ー大航海時代の冒険者たち

スパイス戦争の終焉と世界的な普及

貴重で価値が高かったスパイスも、戦争をきっかけに、香辛料が豊富な国を奪い合う必要がなくなっていきます。

そのきっかけを作ったのは、フランスの宣教師、ピエール・ポワブルという人物です。

ポワブルは宣教師でもありながら、植物にも関心が深く、今の時代でいえば、園芸家とも言われる肩書きがありました。

1760年代にポワブルは、モリーシャス島(インド洋のフランス領の島)の総督になり植物園を建設します。

その後、香辛料諸島を訪れ、現地民にこっそりスパイスの種を分けてもらい、植物園に持ち出すことに成功しました。

こうして、その植物園で、クローブとナツメグを栽培するようになり、植物園から、ザンジバル島、ベンバ島(タンザニア・アフリカの東海岸の離島)にも移植されました。

現在でもこれらの島はクローブの産地となっています。

フランスのこの移植成功がきっかけとなり、イギリスがクローブを盗み自分の植民地に移植します。

こうしてスパイスが各地に広まっていき、香辛料諸島を奪い合う必要もなくなりスパイス戦争は消滅していきました。

世界中にスパイスが広まっていくとともに18世紀から19世紀にかけて、価値も価格も下がっていきました。

さらに冷蔵庫の発明によって、保存に対してスパイスを重用しなくなっていったことも要因です。

このように、胡椒の歴史には、私たちが知らなかった様々なロマンや悲惨な出来事なども含まれています。

普段食卓では、脇役中の脇役である胡椒も、このような歴史を知った上で使うことで、より普段の料理を楽しめるのではないでしょうか。

おうさまペッパーでは、胡椒の卸や胡椒煎餅、ペッパーマヨネーズなどの販売、卸を行っています。

株式会社ハンドレッドエモーションが運営する「おうさまペッパー」では、カンボジア産のブラックペッパーをはじめとするカンボジア産の食材や、自社開発した胡椒煎餅、ペッパーマヨネーズなどを販売、卸を行っています。

取引先様は、阪急百貨店様、京阪百貨店様をはじめ、各地の高級スーパー様や全国チェーンのスーパー様ともお取引をさせていただいています。

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    内田 広大

    株式会社ハンドレッドエモーション代表取締役社長 マーケティングコンサルタントや、WEB集客指導、様々な企業のライターなどをこなしながら、カンボジア産ブラックペッパーブランド「おうさまペッパー」をスタートし、自社ブランド胡椒煎餅やマヨネーズは全国の百貨店などにも置かれています。
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